家庭教師 大阪の体験記

集めてきた郵便物がたまってしまうのは人手が足りないからだが、本社からの視察者は、郵便物を流してくるラインのベルトの構造に問題があるとして、ベルト間の隙間をつなぐ新しいベルトを考案させた。
だが、とりつけられた新しいベルト部分に足をとられて転びそうになったりして効率が落ち、ついにはみんな使わなくなった。 でも、本社の発案を撤回はできない。
お金をかけていくつもつくったベルトは、隅の方に積んだままになったという。 「実態を伝えるパイプがない。
現場の声をまじめに聞いてしまえば、人件費を増やさざるをえなくなるからかもしれないが」とKyさんとHさんは言う。 民営化とともに関係二労組が統合し、民間最大の「Nyグループ労組」が誕生した。
労組の目標には、「生産性運動」も掲げられた。 「生産性運動」とは、会社の事業の発展のために働き手の能力の向上へ向けて労組も協力する運動で、Ihさんらは、労働条件より生産性の向上が優先される、と心配する。
取材に対し、同労組は「深夜勤導入は正当な手続きで決められ米国では、社員の過半数の働き手を集めないと労組として認められない。 だが、日本では一人からでも労組の結成が認められているため、労組をつくりやすく、少数派が声を上げやすい。
その利点を活用してできたのがYuだ。 勤め先の会社と紛争が起きたとき、既成の労組が動いてくれない、または労組がないというパートや派遣社員などの非正社員が急増し、過労死も社会問題になる中で、従来型の労組は動きが鈍い。
深刻な労働問題が増えているのに、労組の組織率は下がる一方だ。 そんな不満の受け皿となったのが、これまでも何度かふれてきた、一人でも入れる労組、Yuだった。

た。 導入後も、組合員から見直せとの提案はない」と答えている。
労働時間の変更は、労組の合意があれば法的には問題がない。 会社側は、「深夜勤は拘束時間を縮めて働き手の負担を軽くするために導入した。
導入は、労組の了承を得て、適正に行っている。 お客様の大切な郵便物の仕分けの間違いを防ぐためには綱紀の引き締めが必要で、疲れのせいなどにするのはいかがなものか」と、反論する。
なかったりする働き手もこの新労組を通じて会社と交渉でき、 応じなければ会社側の「不当労働行為」となることもありうる。 先に紹介したNhさんが加入した東部労組も、こうした仕組みの労組だ。
一人の支部でも、Yuの専従の職員や、加入する他の会社の一人組合員らが一緒に交渉に参加してくれるので、会社への圧力となりうる。 Yuは、労働相談を個別に受けて交渉に入る形をとるため、労組の組織率を一気に引き上げるような効果はないが、既成の労組に納得できない働き手の駆け込み先となった。

『コミュニティ・Yu宣言』(コミュニティ・Yu研究会編、第一書林)によると、これらYuの誕生は、八三年に生まれた大阪の「Yuひごろ」と石川の「勤労者Yu」、八四年に結成された東京の「江戸川Yu」などにまで遡る。 書記長として江戸川Yuの結成にかかわった自治労アドバイザーのOsさんは、七○年代からの日本の産業構造の変化が背景にあったと振り返る。
戦後の労働運動は企業内労組が主流だったが、市民団体や労組などが地域単位で連携して平和運動などに取り組む地区労働組合協議会などの流れもあった。 こうした地域を基盤にした労組活動を行っていたOsさんは、七○年代後半、活動範囲の下町でも、製造業が郊外へと出て行き、サービス産業が急速に増えつつあることに気づいた。
工場を中心にした職場労組だけでは働き手の受け皿にならない。 会社から会社へと転職が頻繁に行われる流通関係の男性社員や、パートという形で地域に根ざして働く不安定雇用の女性たちが、個人でも加入できる労組が必要だと思った。
そんなとき、Osさんらのパート相談にやって来た女性が「私たちも組合に入れるといいのにね」と言った。 この言葉が江戸川Yu発足のきっかけになった。
八二一年、区の労働組合協議会に結成のアピールを出し、パートや不安定労働者、自営業の働き手四十三人を組合員に、八四年にスタートした。 結成の呼びかけには「困ったことはありませんか。
いまの職場に不満はありませんか。 ひとりで悩まないで、気軽に私たちに声をかけてみてください」とあった。
江戸川区内に住む働き手ならだれでも組合員として登録できることにし、共済制度がない働き手が多いため、共済金七百円と、積み立て闘争資金二百円を含む月千五百円の組合費を払ってもらうことにした。 従来の企業内労組とは異なる性格の労組であることを強調するため、カタカナで「Yu」を名乗ることにした。
一九八七年には、男性世帯主中心の従来型労組に限界を感じた女性たちが関西で、初の女性専門労組「おんな労働組合」を発足。 東京では九五年、「女たちによる、女たちの、女たちのための」労組として「女性Yu東京」が立ち上げられ、その後、札幌、仙台、新潟などに次々と生まれた女性Yuのメンバーらが○七年一月、女性労働NGOメンバーらと、初の女性労働の全国ネットワーク「働く女性の全国センター」を始める。
この他、若者の労組である「首都圏青年Yu」や「フリーター全般労組」、製造業の非正社員労組である「ガテン系連帯」など、Yu型労組は続々と登場し、労組を持たない外国人労働者の駆け込み先にもなった。 こうした会社の枠を超えた労働運動を支えようと、若者たちによる労働NPO「POSSE」も生まれた。

一九九三年には、管理職であることを理由に労組に加入できない働き手のために「東京管理職Yu」が生まれ、その後、管理職Yuは各地に誕生する。 広がるYuこうした個人加盟型労組は、企業内労組からこぼれていくさまざまな働き手を拾う形で、広がっていった。
一九七九年に生まれた「北部統一労働組合」は、後に「東京Yu」に改称、ここを拠点にした派遣社員のネットワークから「派遣Yu」が生まれ、日雇い派遣の「データ装備」天引き問題などに取り組み、○七年ごろから活発化した労働者派遣法改正運動の中心になった。 Yuに集まる働き手は賃金が安いことが多いため、組合費も少ない。
組合費が少ないため、基盤が弱い。 もともと会社を核に組織されているわけではないので、自分の問題が解決するとYuをやめていってしまう働き手も多い。
こうしたYuの一部が「全国コミュニティ・Yu連合会」(全国Yu)をつくり、二○○三年には、非正社員の組織化の必要を感じていた「連合」に合流した。 連合参加団体には、スーパーなど非正規労働者の多いサービス業の職場を組織してきた「UIゼンセン同盟」もあるが、当時のNM・組織局長は○三年、Yuの広がりについて、「砂をすくっているような活動は長続きせず、(そうした活動は)しない」と言った。
流動性が高い働き手が個人で加入する組織では、加入しても自分の問題が解決すればやめてしまう。 メンバーが確定せず、労組を維持する組合費が安定してとれないため運営も安定しないという批判だ。
パートを組織するにしても、ゼンセン系は職場単位で労働時間が長い正社員的なパートを想定し、安定した運営を目指すという。 Yuのメンバーは「不安定でも低賃金でも必要とする働き手がいれば組織するべきだ」と反論する。

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